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木工房三澤 が東京新聞で紹介されました

https://www.tokyo-np.co.jp/article/234852

「接着剤のようになりたい」

***東京新聞(布施谷航)引用**

木工職人・三澤正孝さん(40)祖父への思い=八王子市<ひと ゆめ みらい>

のみを入れる角度や場所にためらいが生じると、木材にその跡が「迷いのみ」として残ることがある。「道に迷うのと一緒」。だが、祖父から受け継いだのみは、不思議と木材の上を導いてくれる気がする。「おじいちゃんが見守ってくれているように感じます」
と三澤正孝さんは話します。

大工をなりわいにしてきた家系に育った。宮大工として全国を渡り歩いた初代と二代目は東京都八王子市の多摩御陵前に架かる南浅川橋の工事にも参加。三代目の祖父も全国の神社仏閣を手がけ、地域の大工現場でも腕を振るった。

父は大工を継がなかったが、自らの幼いころは祖父の道具置き場や作業現場が遊び場だった。木材の切れ端にくぎを打ったり、のこぎりで切ってみたり。「ほめもしなかったし、怒りもしなかった。ただ見守ってくれていました」。祖父の面影を懐かしむ。

成長するにつれ野球に打ち込み、塾に通い、大工現場から離れた。高校卒業後に当時、流行していたグラフィックデザインの仕事に就きたいと思い拓殖大工業デザイン学科へ進学した。
大学を出てしばらくして内装デザインの会社で働き、ゲームセンターや科学博物館のレイアウトを図面で起こす仕事を任された。パソコンとにらめっこの毎日だった。耐えられなくなり退社した。

このころ、少年時代の思いを取り戻した。

「家具や木を使った道具を作りたい」
技術を学び直すため、神奈川県平塚市の県立平塚高等職業技術校に入学し、木材加工コースを専攻。大工道具の手入れを学ぶ実習で手にしたのは、祖父の家から見つかったのみやげんのうだった。「やりたかったのは、これなんだ」。学び直しを祖父も喜んでいるように感じた。

静岡県の家具製造会社や都内での家具販売営業で約十年修業。八王子で工房を開く時、伯父からプレゼントを受け取った。祖父の着ていた大工の法被だった。身に着けると、祖父はもちろん、大工だった先祖に見守られているような気がした。「イベントや展示会で着る勝負服のようなものです」と笑顔を見せる。

今は主に製材業者らの依頼を受けて家具やアウトドアグッズの素材を作っている。使うのはほとんどが多摩産材だ。「地域で育った木材を使って、地域で使ってもらう。その間をつなぐ接着剤のような役割になりたい」。祖父らが愛した土地に貢献することが、先祖への恩返しになると信じている。

<多摩産材> 多摩地域の適正に管理された森林から生産された木材。森林所有者や製材事業者らでつくる「多摩産材認証協議会」が「認証材」を認定。これにより、流通過程が保障される。東急池上線戸越銀座駅、都立多摩図書館(国分寺市)などで使われている。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/234852

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