建築家 丸谷博男さんと浮輪寮
木と土と草でつくって来た民家の温熱調湿性能を見直す。日本建築のあり方を継承し、日本の住まい手、つくり手に日本の風土とともに息づく民家を提案する建築家 丸谷さん。
農村神道伝学校だった古民家を改修。美しく生まれかわった建物に浮輪寮と名付けました。
沖倉製材所からは多摩産材天井板を納材。沢山のお客様をお迎えしています。
日本建築再考「和風」 by 丸谷博男
・日本の家は木と土と紙でできている。
・豊富な森林資源
・地震王国のため軽さと柔構造が耐震性を生み出していた
・高温多湿の気候では調湿性が快適を生み出した
・腰壁ではなく掃き出しの開口部が外部空間との一体化、庭との一体化空間を生み出した

・共に生産の場ではあったが、町屋という都市住宅の姿と、農家という郊外住宅の姿があり、それぞれに環境共生的な配慮がなされていた

・貴族の暮らす寝殿造は寺院のように天井がなく、小屋組が見え吹き抜け空間であったため、冬の寒さには大変厳しいものがあった、高床形式は南国の構造でありさらに厳しいものがあった
・縄文時代から庶民は竪穴住居に暮らし夏涼しく冬暖かい暮らしを継続していた

・神殿造では、床はいたであり、置き畳が使われた
・武家社会になると禅宗の影響を受けて書院造が生み出され、付書院、押板、違い棚、が設えられ、床には畳が敷き詰められた

・部屋と部屋を繋ぐ欄間が工夫され、さらに天井意匠も定型化され、壁には漆喰が塗られ武家の公的空間が設られていった

・公的な場である書院造にも草庵茶室の表現が取り入れられ、数寄屋風書院が誕生する、八条の宮家の別荘として建てられた桂離宮はその最たるものである

・戦国大名が闊歩する時代では、戦いのための建築が誕生した、城とそれを囲む堀であり城下町である

・武家屋敷では玄関が定式化されたことも注目される
・神社仏閣も独自の発展を遂げて行った、耐震性への発達も進められた
・禅宗の影響も大きく、華奢で美しい舎利殿が造られた
・時代は遡るが、平家の時代には、平等院鳳凰堂、厳島神社などが浄土信仰を背景に造営され、日本人の美的表現が深められた

・洋館+和漢、和洋折衷の住宅が作られるようになる
・住宅が商品化され、またファッション化され、伝統様式は一挙に崩壊し「デザイン」住宅が広がって行った
・省エネ対策により高気密高断熱住宅が推奨され、日本の住宅は壁に穴を開けて窓を築く箱型住宅として普及していった

・また、それは日本人の感性が育まれてきた自然との一体的な関係を再評価する時代とも考えたい
【浮輪寮】
小田急線 鶴川駅 バス約10分
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